ABC

As Derrida notes in tones of both irony and regret, those who wish to critisise metaphysics particularly risk unacknowledged reiteration of metaphysics. Both New Historicism and cultural materialism are bathed in logocentrism. Both are engaged in casual acts of naive translation, supposing that they have direct access as through a transparent medium to a universal, united and transcendent domain of meaning (略).

脚注がないから出典がわからん。それとも筆者がたんに演算しただけなのか?

前編

  • 中学生日記」を見た。今回のテーマは「男性受ける性暴力」。野球部エース・イケメン秀才・小坊主Aが、男性「臨時コーチに恥ずかしい体験をさせられ」るというお話。今日は前編。小坊主Aの彼女(マネージャーでもある)と先生(女)と友人(男)が、性被害の事実に気づき始めるあたりで終わった。
  • 部室内で、小坊主とは別の部員Bが先輩部員から性的いやがらせを強要されていたが、それは前景化されてこない。むしろ、小坊主Aの被害を引き立てるために、別の性暴力が隠蔽化(大げさだな俺)されているといった感じ。これは意図されたことなのか。それともたんに来週に持ち越しただけか。
    • この青年Bは、自ら受けた性的いやがらせを、非常に楽天的に語り演じている。部室内でも教室でも。ドラマのテーマと逆にそれているベクトルであるだけに、来週どのように青年Aの体験とネゴシエイトされるのか期待しよう。
    • さらに、「男性が受ける性暴力」に、先生(女)の暗い過去がかぶさってきて、物語はあれもこれも状態になっている。これもどうなることやら。
  • 以下、NHKが公表している番組制作理由(http://www.nhk.or.jp/nikki/weekly/index_060703_10.html)。
  • 5)なぜ中学生日記で、男性の性暴力被害をとりあげたのか?
    • 予想以上に多くの男性が、小中高校生の頃に性暴力の被害を受け、その後の人生に深い影響を与える場合があるという現実があるからです。それに蓋をするのではなく、現実を見つめ、もしそのようなことが起きたとき、本人や周囲の人々はどうしたらいいのか考える、きっかけになればと思い、制作しました。
  • 6)同性愛を否定することにならないのか?
    • 今回の番組は、同性愛を描いたものではありません。本人の同意がない、あるいは同意できる環境にない中で行われる性的な行為は性暴力です。判断する能力のない子どもへの行為は、性暴力です。(被害者が女性の場合を考えてください。たとえ愛し合っていても、大人から子どもへの行為は許されません。)
    • 日本語おかしい。
    • それはそれとして、青年Aに「性暴力」を働いた(とされる)コーチのセクシュアリティは、この流れでいくとヘテロと解釈しないといけないのですか?わたしにはそのようには解釈できないよ。
  • 青年Aに焦点化させたいのだろうけど、その周りが気になって仕方ない。そんな第1話でありました。見逃した方は、土曜日午前10:45からの再放送もあります。後編は来週です。
    • そういえば、作曲者の名前がBANANAってクレジットされてた。

追記http://d.hatena.ne.jp/miah/20060704