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ジョナサン・カラーが『文学理論』で面白いことを言っている。翻訳出てすぐに読んだときは読み落としていたんだけど、今回読み返したら、ちょっと気になることを書いていた。カラーは、バーミンガム経由のCSは左派的・反エリート主義的で、イギリスにおいてCSをやるってことは対抗文化の契機になりうると言うのだけど、続けて、アメリカでCSをやろうとすると「対抗」文化という契機が即座にアカデミズムに回収されてしまうのだと分析している。それは、アメリカ文学のキャノンがそもそも対抗文化の機軸を孕んだ作品(例は『ハックル』)で構成されてきたというイギリス文学史と別の文脈があるからだと言っている。だからアメリカ文学史にCSを導入したところでアカデミズムはびくともしねえんだよ、と。なるほど確かにそうかもしれない。
ともあれ、対抗的な作家まで回収してしまう米文学史というCSへの補助線がまた一つ増えた。
偉いCSさんには怒られることを覚悟でいうと、別に私はCSが英国的文脈で対抗的ならOKとはちっとも思っていない。街場に出て活動したいという気も起きない。アメリカ版CSの中に浸かっているのかもしれない。どちらかというと、カラーがCSの源流としてもうひとつあげているバルト路線ならまだしっくりくる。バルトが芽生えさせたCS。これはあまり日本で紹介されていないかもしれない。日本でのCSへの誤解はここから発生しているのかもしれない。もちろんまだ推測の域を出ていないけれど。