本棚の奥二列目をいじっていたら出てきた積読本。ごてごてなタイトルでちょっと気恥ずかしくなるが、小見出しをめくっていたら面白そうな箇所があったので読む。
- 作者: Robert J. Corber,Donald E. Pease
- 出版社/メーカー: Duke Univ Pr
- 発売日: 1993/12/01
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 精神分析の文字が見えたとき、「ヒッチコックによるラカン」かもしれぬと焦る(それならあえてこの研究書で読む必要ない)。しかし、そうではなく、ヒッチコック映画のエディプス構造が戦後ジェンダー言説と共謀関係にある/逸脱するという、いかにも新歴史主義的な立場からの精神分析の歴史化なのだと語っていて納得する。そもそも「ニュー・アメリカニスト」シリーズだということを失念していた。アラン・ネイドルの匂いがプンプンしてますよ。
- この手の議論は「出来すぎている」感が漂ってくる(「複雑だ複雑だ」と言い張る言説のネットワークを新歴史主義者が分析しだすと、彼らのセットした言説の舞台上では、複雑どころか整然とある意味「カッコよく」流れていく)のだが、読んでいる分には面白いのでこのまま読み続ける。
- ただ筆者があえて「映画」を対象に選んだ理由がいまひとつ見えてこない(作家主義うんぬんとは書かれているが)。
- 瑣事:脚注でジジェクに触れているのに(229)、索引がWで終わっているってどういうこと。
- メモ:Robert Corber.Homosexuality in Cold War America, Duke UP, 1997.
【1】冷戦リベラル知識人における精神分析批評の前景化
- 戦後合衆国文化の「スターリン化」への懸念
- reclaim reality from Popular Front
- とりわけトリリング(→参考『ニューヨーク知識人―ユダヤ的知性とアメリカ文化』)
→[問題]個人≠社会。この流れでいけばニュークリだって議論できそうなものだが、索引にはニュークリの文字はないの...
【2】なぜ「あえて」ヒッチコックなのか?(<少なくともなぜ「映画」なのか?)
- 【1】の議論との共謀関係にある好例だから。
- ...「あえて」に答えてくれる積極的な理由はいまだ見出せない。
- で、ここ。
These films treated reality as a purely subjective construction. (...)The films we will examine tried to insert the spectator into a fixed, stable subject position that contained the construction of her/his subjectivity across a multiplicity of contradictory discourses. (54-5)
-
- か、観客ですか(←そもそもお前も観客じゃね?という疑念は各論を読み進めるごとに増していく。「俺は騙されないが、50年代の観客はまんまと騙されていたんだぜ」という余裕綽々な態度が鼻につく。)*1
→映画がtreatしてるのか、それとも筆者が妄想でtreatしてるだけなのか予断を許さない。
【3】同性愛の封じ込め
II.4. Sex perversion or any inference to it is forbidden.
→その後の展開:創設者グループ(抑圧されたマイノリティ論を展開)と対立者グループ(医学・法律・教育などの分野の専門家との協力路線)の内部抗争で後者が組織票を獲得(河口和也『クイア・スタディーズ』岩波書店、2003、10-11)。
(つづく…のか?)
*1:どうもこの議論は、昨今の映画研究では、観客のエスノグラフィー問題として進んできているらしい。『The Place of the Audience: Cultural Geographies of Film Consumption (BFI Modern Classics)』で偶然知る。