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In the Name of National Security

本棚の奥二列目をいじっていたら出てきた積読本。ごてごてなタイトルでちょっと気恥ずかしくなるが、小見出しをめくっていたら面白そうな箇所があったので読む。

In the Name of National Security: Hitchcock, Homophobia, and the Political Construction of Gender in Postwar America (New Americanists)

In the Name of National Security: Hitchcock, Homophobia, and the Political Construction of Gender in Postwar America (New Americanists)

【0】雑感

  • 精神分析の文字が見えたとき、「ヒッチコックによるラカン」かもしれぬと焦る(それならあえてこの研究書で読む必要ない)。しかし、そうではなく、ヒッチコック映画のエディプス構造が戦後ジェンダー言説と共謀関係にある/逸脱するという、いかにも新歴史主義的な立場からの精神分析の歴史化なのだと語っていて納得する。そもそも「ニュー・アメリカニスト」シリーズだということを失念していた。アラン・ネイドルの匂いがプンプンしてますよ。
  • この手の議論は「出来すぎている」感が漂ってくる(「複雑だ複雑だ」と言い張る言説のネットワークを新歴史主義者が分析しだすと、彼らのセットした言説の舞台上では、複雑どころか整然とある意味「カッコよく」流れていく)のだが、読んでいる分には面白いのでこのまま読み続ける。
  • ただ筆者があえて「映画」を対象に選んだ理由がいまひとつ見えてこない(作家主義うんぬんとは書かれているが)。
    • 瑣事:脚注でジジェクに触れているのに(229)、索引がWで終わっているってどういうこと。
  • メモ:Robert Corber.Homosexuality in Cold War America, Duke UP, 1997.

【1】冷戦リベラル知識人における精神分析批評の前景化

→[問題]個人≠社会。この流れでいけばニュークリだって議論できそうなものだが、索引にはニュークリの文字はないの...

【2】なぜ「あえて」ヒッチコックなのか?(<少なくともなぜ「映画」なのか?)

  • 【1】の議論との共謀関係にある好例だから。
    • ...「あえて」に答えてくれる積極的な理由はいまだ見出せない。
  • で、ここ。

These films treated reality as a purely subjective construction. (...)The films we will examine tried to insert the spectator into a fixed, stable subject position that contained the construction of her/his subjectivity across a multiplicity of contradictory discourses. (54-5)

    • か、観客ですか(←そもそもお前も観客じゃね?という疑念は各論を読み進めるごとに増していく。「俺は騙されないが、50年代の観客はまんまと騙されていたんだぜ」という余裕綽々な態度が鼻につく。)*1

→映画がtreatしてるのか、それとも筆者が妄想でtreatしてるだけなのか予断を許さない。

  • ヒッチコックの観客は精神分析的な読解をするしかない」と述べてラカン用語の阿鼻叫喚。
    • ここもそう。そう読解させたがってるのは、お前の方じゃねーの?

【3】同性愛の封じ込め

  • 同性愛を召還しつつ抹消しながら、異性愛を補強していくヒッチコック映画
    • 古典ハリウッド映画ではあらわれないプロセスと書いてあるが、ヘイズコード有効期間のことか(一応参照:ヘイズ・コード↓)?(cf.レズビアンとしてのグレタ・ガルボの存在)

II.4. Sex perversion or any inference to it is forbidden.

  • リベラル知識人が、社会的マイノリティの問題を、アブノーマルな個人の病理と置き換え、コミュニストと同定していくプロセス
    • マタシン協会が共産党に起源を持つ

→その後の展開:創設者グループ(抑圧されたマイノリティ論を展開)と対立者グループ(医学・法律・教育などの分野の専門家との協力路線)の内部抗争で後者が組織票を獲得(河口和也『クイア・スタディーズ』岩波書店、2003、10-11)。


(つづく…のか?)

*1:どうもこの議論は、昨今の映画研究では、観客のエスノグラフィー問題として進んできているらしい。『The Place of the Audience: Cultural Geographies of Film Consumption (BFI Modern Classics)』で偶然知る。