ABC

10年以上前に盛り上がって、その後なし崩しになっているような、なっていないようなキャノン論争。軽スタだろうが重スタだろうが、まぁともかくカルスタ登場によって文学研究がどう揺らぎを見せたのかを、この際だから網羅的に―文学理論書の1章さいたとかそういうレベルじゃなくて―総点検しておく。

  • 論争の渦中をまったく肌で経験せず、大学入った途端にいきなりカルスタが存在していた世代として言えることがあるかもしれないし(ないのかもしれないし)。
    • というか、ほとんど言い訳例文探しに近いのだが。
    • というか、今までよくもまぁ自分勝手に言い訳を捏造できたものだと思う。

手元にあるAnthony Easthope(Literary into Cultural Studies)とPaul Lauter(Canons and Context)を生真面目に読み返しつつ*1、その他物色。極端に個別のキャノン(『白鯨』『ハックル』周辺)をどうこう述べるのではなく、もっと幅広くアカデミズムとの関連でカルスタを論じたものを中心に。当然射程圏内に入っているジョン・ギルロイ,Cultural Capital: The Problem of Literary Canon Formationのほかに、アマゾンが5、6冊まとめて提示している。もっと有名なのがあればぜひとも知りたい。
http://www.amazon.com/gp/product/0226306046/ref=pd_bxgy_text_b/102-2503103-6895365?%5Fencoding=UTF8

コロンビア大学 現代文学・文化批評用語辞典 (松柏社叢書 言語科学の冒険)』の「CANON」の項でアラン・ブルーム*2、E・D・ハーシュ*3、Barbara Herrnstein Smith*4を読めとの指示。ついでに、キャノン擁護者の論理は以下のように説明されている。

従来は排除されてきたテクストがどんなに多く大学の授業概要に登場しようとも、もっとも多くの関心が向けられなければならないのは、伝統的なカノンに属するテクストである、なぜなら西洋文化の形成に基本的な役割を果たしてきたのは、それらのテクストだからである、と。(92)

言われなくてもわかる。ただあまりに座りが良すぎる説明に思えるのだよ。あと、こう誰かに言われたら、明瞭に―水掛け論にならずに―生産的に―反論できるだろうか俺。と同時に同じページの中で語られているキャノン破壊者の立場が、「非エリート的で折衷的な方法」を取ると説明されるときの、「折衷的」もクリアにしていきたい。「そんなのはとっくに解決したのだ」(外野の声)とか言わないでお願い。

*1:はまぞうリンクなし。

*2:数年積読放置プレーだった『アメリカン・マインドの終焉』を読む意欲が激しく沸いてきた。

*3:教養が、国をつくる。―アメリカ建て直し教育論 アメリカの基礎教養5000語付き

*4:Contingencies of Value, Harvard UP, 1988